【私のすがた】
自分の顔に着いた汚れは、自分では気づきません。鏡の前に出てはじめて、はっきりと自分の本当の姿を知ることが出来ます。そのように、私自身の心や行いの本当の姿は、自分ではわかりにくいものです。世の中にはいろいろの人がいます。たとい、美しい服を着て綺麗な顔をしていても、その人の行いや心まで美しいとは限りません。その人たちの行いの姿は、実は私の行いの姿を教えてくれる鏡です。
室内の空気も、日光に照らされて見ると、ほこりがいっぱいあることがわかります。親鸞さまは「佛さまの教えの光に照らされてはじめて、自分の心の汚いことがよくわかりました」と、言われました。
〔行いと心〕
1.人は、今のこの世が終わると、また人間に生まれ変わるのですか。
昔から生まれ変わった、と言う人があると聞いたことがありませ
ん。私のこの命は、ただ一つだけの貴重なものです。
2.すると、人は死んだらどうなるのですか。
身体は、水分や煙や灰などに姿を変えてしまいます。
3.そのほかに、何も残らないのですか。
いいえ、自分の業が足跡のように残ります。
4.業とは、どんな意味ですか。
業とは、行い、働きということで、私が生きている間、手足で行う
こと、口で言うこと、心で思うこと、の三つの行いのことです。こ
れを「身口意の三業」と言います。このことから、業欲、非業、業
がわく、などと言う言葉があるのです。
5.自業自得というのは、どんな意味ですか。
「自分でまいた種は、自分でかりとらねばならぬ」と言われること
で、自分の行ったことは、必ず自分で責任をとらねばならぬという
意味です。言い換えると、良い種をまけば良い実がなり、悪い種を
まけば悪い実がなるように、良い行いをすれば楽しみという良い結
果が起こり、悪い行いをすれば苦しみという悪い結果が起こること
をあらわす言葉です。
6.普通にはいくら良いことをしても、良い結果が起こらないのではあり
ませんか。
いいえ、そんなことはありません。因果(因縁と結果)の法に、間違
いはありません。ただ、自分が良いことをしたと思っていても、そ
の中に気付かない悪い種のまじっていることが多く、私たちが、良
い悪いの正しい区別や判断ができないため、思い違いをしているの
です。
〔十の悪いこと〕
7.良い悪いの区別は、どうしてつけますか。
良い悪いの区別には、およそ三つの考え方の違いがあります。
8.三つの考え方とは、どんなことですか。
①国の法律を守るかまもらないかということの良い悪い。②社会の
道徳を守るかまもらないかということの良い悪い。そして、③佛教
を聞いてからの良い悪い、の三つの考え方です。
9.では、佛教での悪い業とは、どんなことですか。
十悪といわれるもので、一つづつ説明すると、①生き物や人間を殺
したり、いじめたりすること。これを「殺生」と言います。
10.では、毎日食事のために、魚や肉を食べていることも悪いことです
か。
そうです。普通、世間や社会では別に悪いことだとは言いません
が、命あるものを自分の都合のために殺すことは悪いことです。だ
から親鸞さまは、自分の身のために食べ物となった生き物の生命に
たいして、両手を合わせて拝まれました。
11.次に、どんな悪がありますか。
②他人の物や公共の物をぬすんだり、ごまかしたりすること。③男
と女の間で礼儀を守らず、みだらな行いをすること。今までの三つ
は、身体の悪業です。次に、四つの口の悪業があります。
12.四つの口の悪業とは、どんなことですか。
④他人を迷わせるような誤った考えの話をすること。⑤大げさに飾
って、本当のことと違った話やおせじを言うこと。⑥前に話したこ
とと、後から話したことが違う「うそ」を言うこと。⑦他人をけな
したり、傷つける悪口を言うこと。この四つです。このほか、悪業
のもとになる三つの意の悪業で「三毒の煩悩」と言われるものがあ
ります。
13.三毒の煩悩とは、どんな業ですか。
⑧貪欲、⑨瞋恚、⑩愚痴の三つです。
14.貪欲とは、どんな業ですか。
欲張りの事で、他人の物を見ては羨ましく思い、自分の物は他人に
分けてやりたくないという、いつまでも満足することのない心の働
きのことです。
15.瞋恚とは、どんな業ですか。
怒りの事で、自分の思うことがかなわない時、しゃくにさわり腹を
立てて他人が悪いとにくむ心の働きのことです。
16.愚痴とは、どんなことですか。
おろかなことで、正しい道理や善悪の区別もわからないのに、自分
の間違った考えを正しいと思い込み、過ぎ去ったことをくよくよ悩
み、まだ来ない先のことを心配する、不平不満のおろかな心の働き
の事です。
17.この、十のことはなぜ悪いのですか。
相手のことを考えないで、自分だけよくなりたいと思い、他の多く
の人を苦しめていながらそれに気付かないで、平気でいるから悪い
のです。これを罪と言います。
18.罪な業をつくるもとは、何ですか。
それは、無明(光がなく道理にくらいこと)だからです。私に二つの
目があっても、それは物の表面しか見ることが出来ず、自分自身の
本当の姿や値うちもわからず、自分の間違った見方、考え方を改め
ないことです。心の目があいてなくて暗いことです。
19.こんなことを聞いていると、私自身は情けないほどつまらない、き
たない心の人間になっているではありませんか。
そうです、悲しいことです。「私も同じです」と、親鸞さまは言わ
れました。だから、早くこのようなきたない心の世界を離れて、清
らかな心の世界に行きたいものです。
20.どうすれば、清らかな心の世界に行くことができますか。
それは、佛さまの教えを聞いて、佛さまに導いていただくほかはあ
りません。